2016/09/20

今の暮しの手帖と花森さんの本

フランスと比べて大きい音が流れているところが多い日本
そんな中 図書館は静かで落ち着く空間
秩父に戻ってきた当初からお世話になっている大好きな場所 市立図書館で
先日2冊の本を借りてきた


そのうち1冊は「暮しの手帖」80 2-3月号
最新号は窓口にあるとのことだったけど残っていた1冊を手にしたら
最新号よりもこれから読みたくなった
すると ちょうど新編集長 澤田康彦さんが手掛けた第一号だったようで
いきさつや自己紹介がされていて
なんだか一緒に出発のようでうれしくなった
 料理、手芸、服飾、暮らし、紀行、健康、コラム、読み物

いろいろな企画が上手に引き継がれていてすごいなと思った
商品テストは2007年まで続けられていたという
いまだに外部の広告を載せないというスタイルを貫いているのもすごい

母も愛読していたようで 先日の古い号を見せたら
懐かしそうに喜んでいた

そして「すてきなあなたに」を書いていたのは
大橋鎭子さんだったのだ
いつか単行本かポケット版でそろえられたらいいな



もう1冊は花森安治さんの「灯をともす言葉」

美について
この国について
私たちの暮しについて
造ること、売ること、買うことについて
装うことについて
ぼくの仕事、そしてジャーナリズムについて
戦争について

ソフト面でもハード面でもとても共感できることが多すぎて
おもしろくて うれしくて一気に読んでしまった

以下 花森さんのいくつかの言葉を引用



ぼくら このごろ すこしばかり
やさしい気持を なくしてしまったような気がする
ごくたまに きれいな青い冬の空が
みえることがある
それを しみじみと 美しいとおもって
みることをしなくなった
はだかの電線が ひゅうひゅうと鳴っている
その昔に もう かすかな春の気配を
きこうとしなくなった
早春の 道ばたに 名もしらぬ雑草が
ちいさな 青い芽を出している
それを しんじつ
いとおしいとおもって みることをしなくなった
まいにち じぶんの使う道具を
まるで 他人の目で みている
みがいてもやらない
ふきこんでもやらない
つくろってもやらない
こわれたら すぐ捨ててしまう
古くなったら さっさと捨ててしまう
見あきたら 新しいのに買いかえる
掃除機を買ってから なんだか
掃除が おろそかになった
冷蔵庫を買ってから どうやら
食べものを よく捨てるようになった
物を大切にする ということは
やさしいこころがないと できないことだった



大した過ちのないということ
ボクはこんな愚劣な話はないとおもいます。
大した過ちがないということは、つまり
なにもしなかったということなのです。
人間というものは、何かすれば、
成功するチャンスもあれば、
失敗するチャンスもある、
どこかに歩いて行こうという場合に、
大した過ちをしないということは、
踏み出さないということではないかと思います。
近頃は若い人まで、生きて行くのに、
大過なく生きて行こうとしている。
人生何十年生きられるものかわかりませんけれども、
過ちがなかったということだけを
誇りにして生きて行くことは、
軽蔑したいのです。



いちばん嫌いなのは、
すぐこわれて
ダメになるものである。
ふいたり、みがいたり、
洗ったりして、
何年も何十年も
大切に使い込んでゆくのが、
なんともいえず好きで、
そうして使いこんだ味が、
たまらないのだから、
すぐこわれたのでは、
まったくがっかりして、腹が立つ。
使い捨ての時代だ、などと
シタリ顔をしている連中をみると、
だから、心底から
ケイベツしてしまうのだ。



ものを知らぬひとは、
何と考えるかしらないが、
おしゃれは、本来ケチなものである。
ケチといって悪ければ、
ものを大切にすることである。



どんなに みじめな気持でいるときでも
つつましい おしゃれ心を失わないでいよう
かなしい明け暮れを過しているときこそ
きよらかな おしゃれ心に灯を点けよう
より良いもの、より美しいものを
求めるための切ないほどの工夫
それを私たちは、正しい意味の、
おしゃれだと言いたいのです
それこそ、私たちの
明日の世界を作る力だと言いたいのです



いかなる権力にも、
いかなる圧力にも、
いかなる金力にも屈しないで、
正しいとおもったことを
やりとげる、それには、
いささかの勇気が
要るというわけである。
そのいささかの勇気を、
いつも持ちつづけていたいと、
しみじみとおもうのである。



ぼくらの努力は
ほんの大海の一滴みたいなものかも知れぬが、
くたびれず、あきずに
やって行くうちには、
お互い成長して、
一人ずつが
自分でものを考えていくようになる。



暮しなんてものはなんだ、
少なくとも男にとっては、
もっとなにか大事なものがある、
なにかはわからんくせに、
なにかがあるような気がして
生きていたわけです。
あるいはあるように教えられてきた。
戦争に負けてみると、
実はなんにもなかったのです。
暮しを犠牲にしてまで守る、
戦うものはなんにもなかった。
それなのに大事な暮しを
八月十五日までは
とことん軽んじてきた、
あるいは軽んじさせられてきたのです。



戦争は恐ろしい。
なんでもない人たちを巻き込んで、
末は死までに追い込んでしまう。
戦争を反対しなくてはいけない。
君はそのことがわかるか・・・・・・。